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憲法第9条を書いた男に会ってみると 古森義久
■日本国憲法起草の特異性

「私がチャールズ・ケーディスです」いかにも温厚そうな白髪の紳士が右手を差し伸べてきた光景が最近またしきりに思い出される。1981年4月、ニューヨークのウォール街の古い法律事務所だった。日本国憲法を起草したケーディス氏との顔あわせが、いま日本側で憲法論議が高まるにつれ、思い起こされるのだ。

日本国憲法草案は1946年2月3日からの10日間に二十数人の米国人たちにより皇居に近い第一生命ビル内で書きあげられた。連合国軍総司令部 (GHQ)民政局のスタッフたちだった。その実務責任者が民政局次長で陸軍大佐のケーディス氏だった。インタビュー当時の同氏はすでに75歳だったが、 39歳のときに経験した日本国憲法作成の作業過程をよく覚えていた。

4時間近く、ケーディス氏が用意した資料をみながらその過程を率直きわまる態度で語れば語るほど、私は日本国憲法づくりの異様さに衝撃を受け続けた。なにしろ手続きがあまりに大ざっぱであり、日本側への対処があまりに一方的な押しつけに徹していたからだった。そもそも戦勝国が占領中の旧敵国に受け入れを強制した憲法なのだから当然ではあろうが、それにしても粗雑な点が多かった。

ケーディス氏によれば、起草は都内の各大学図書館から他の諸国の憲法内容を集めることから始まり、後にマッカーサー・ノートと呼ばれる黄色の用紙に殴り書きされた天皇の地位や戦争の放棄など簡単な基本指針だけが手がかりだった。

「私自身が書くことになった第9条の目的は日本を永久に非武装にしておくことでした。しかも上司からのノートでは戦争の放棄は『自国の安全保障のためでも』となっていました。この部分は私の一存で削りました。どの国も固有の自衛の権利は有しているからです」

ケーディス氏は後に日本側から「芦田修正案」が出されたときも、同氏の判断だけでOKを与えたという。この案は9条の第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という字句を挿入することで、固有の自衛権を認め、自衛隊保持の根拠を供した。

憲法草案のこうした枢要な部分は上司のホイットニー民政局長やマッカーサー元帥の承認を事後に得てはいるが、ケーディス氏の賛成だけでもすんだというのだった。

50枚以上の記録として私の手元に残るケーディス氏のインタビューはいま読むと、日本の憲法がいかに占領軍の命令で作られ、押しつけられたか、その特異性が改めて迫ってくる。当時の私は新聞社を一時、離れ、カーネギー国際平和財団の上級研究員という立場でのインタビューだったため、同氏の発言を新聞で報じることができなかった。

だが憲法が新たな脚光を浴びる現在、彼の発言は少しでも多くの日本国民に知ってほしい憲法誕生の秘史部分だと思う。

当時の米国がこの憲法で求めたのは明らかに日本から防衛や軍事という主権の一部を奪い、半国家のままにおくことだった。だから日本側で戦後の国家体制に反対する勢力にも、この憲法は「半国家」という点で強い魅力となったのだろう。

野田佳彦首相が4月30日、オバマ大統領とともに重要性を再確認したという日米同盟も、まだまだ日本の憲法のこの特異性に縛られそうである。

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| 古森義久 | 06:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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