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日本人を蝕む西洋化という病    加鷄冖

新年が巡ってくるたびに、毎年、日本らしさが、失われてゆく。嘆かわしい。


家の近くを通ると、クリスマスツリーや、樅(もみ)の枝輪や、ポインセチアが飾られて、まるでアメリカの街にいるような錯覚にとらわれる。クリスマスが近づくと、テレビがサンタクロースや、クリスマスの曲(キャロル)で満たされる。

もしイエスが生きていたとしたら、百貨店のクリスマスの飾りを、壊すにちがいない。イエスは生涯にわたって、清貧を説いた。


新約聖書はイエスが神殿の前の屋台を襲って、つぎつぎと倒したことを記している。日本国民はサンタクロース教によって、誑(たぶら)かされている。日本が西洋化という病(やまい)によって蝕まれて、内から崩壊しつつある。


昨年も、天皇誕生日に3万人以上の善男善女が日の丸の小旗を振って、聖寿を寿(ことほ)いだ。


11月に大相撲の九州場所の千秋楽で、白鵬関が鶴竜関に勝って、32回目の優勝を果した。私は白鵬関が賜杯を手にした後に、土俵の下でNHKの優勝インタビューにこたえた言葉に、深く感動した。


白鵬関はそのなかで、「相撲の神様に感謝します」といい、声を張りあげて、「天皇陛下に感謝します!」と述べた。私は「相撲の神様」「天皇陛下に感謝します」という言葉を、久し振りに聞いた。


私たち日本人は、太古の昔から八百万(やおろず)の神々に囲まれて、生きてきた。


今日では、相撲は日本語に入った英語を借りて、「スポーツ」と呼ばれているが、本来は神を祭る神事(かみごと)である。私はテレビで大相撲を観る時には、敬虔(けいけん)な思いにとらわれる。


土俵はリングではない。神聖な場だ。力士は土俵を踏む前に、力水(ちからみず)と呼ばれる清(きよ)めの水で口をすすぐ。神社にお参りする前に、口をすすぐのと同じことだ。


土俵を造る時には、神主を招いて厳粛な神事が行われる。真ん中に10センチ4方ほどの穴が掘られて、米、勝ち栗、昆布などを埋めて供え、お祓(はら)いをしたうえで、四隅にお神酒(みき)と塩が撒かれる。


力士が足を高くあげて、土俵を踏みつける四股(しこ)は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って大地から地中の悪霊を払う意味がある。


このような形を、過ぎ去った昔のものとして、捨ててはならない。日本の宝である。


私は白鵬関が「相撲の神様に感謝します」と述べたのに、胸が熱くなった。白鵬関は「ちょっと、モンゴル語で話をさせて下さい」といって、モンゴルで観ている両親と国民に向かって、「親と母国の人々に、深く感謝します」と述べた。


日本のあらゆる信仰は、神道をはじめとして、感謝に基いている。感謝の念が、日本人を日本人たらしめてきた。日本を特徴づけてきた「和」の精神は、感謝の心がつくってきた。日本は感謝しあう、美しい国なのだ。


日本語には明治に入るまで、「神話」という言葉が存在しなかった。「ふること」といった。漢字で「古事」と書く。「神話」は英語の「ミソロジー」の明治翻訳語である。


皇居では、天皇陛下が日本の祭主として、秋の新嘗祭(にいなめさい)には、日本民族がまだ文字を持たなかったころから伝わる、古い感謝の神事を行なっておいでになる。ふることは、現代まで継(つなが)っている。有難いことだ。


5千円札に、いまから120年前に赤貧のなかで、25歳で病死した、樋口一葉の肖像があしらわれている。本名をなつといった。


なつは、克明な日記を遺している。しばしば、日本のありかたに触れている。


病没した前年に「安(やす)きになれておごりくる人心(ひとごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国(くに)振(ぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と記している。


日本人らしさを、失ってはなるまい。

 
<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>

| 加瀬英明 | 00:41 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |







コメント
日本人は「八百万の神」に外国の神様もカウントしているのでは?と思う時があります。
インドや中国にこういう神様がいる、と聞けば「ありがたいからこっちでも祭ろう」と名前を変え習合してきました。
主体性がないのか鷹揚で寛容なのか。日本人は昔からそれほど変わっていないようにも思えます。
クリスマスに関しても、受け入れているように見えて、キリスト教の信仰にはほとんど関係のない祭りになってしまっています。不思議な国です。
| 通りすがり | 2015/02/12 9:19 AM |
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