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政治家の評価は棺を覆って初めて定まる 古沢襄
昭和44年、七〇年安保の前年だが私はそろそろ政治部の第一線から退いてデスク入りする頃であった。森喜朗、小沢一郎といった”花の44年組”が一年生議員として国会に登場した。何とも頼りない新人議員という印象だった。あれから40年の歳月が去った。

若き小沢氏をジャーナリストで最初に評価したのは後輩の松崎稔氏(故人 田中番記者 共同通信社専務理事)だったが、私は評価しないまま今日に至っている。評価すべきは緒方竹虎氏など数が限られる、政治家の評価は、一に人間性にあるから棺を覆って、なお歴史の評価に耐えられるものがなければならない。

小沢氏は戦後政治の上で異能な力量の持ち主といえる。選挙技術、国会対応の技術にかぎれば、五本の指に数えられる政治家であろう。だが、人間性の面では何かが欠けている。歴史のスクリーンにかけて見れば、案外、つまらない人物としか映らない。

権力掌握の面でいえば、足利将軍は今の総理大臣とは比較にならない。六代将軍・足利義教は中央集権幕府権力の復活者として強権政治を実行した権力者であった。嘉吉の乱で惨殺されなければ、足利幕府中興の祖となったという見方がある。

その治世では宿老たちの意向に従い合議制を守っていたが、やがて「万人恐怖」「悪御所」と呼ばれる独裁者になっている。幕府の権威を振りかざして、酷薄な性格が現われ、残忍な性格を露呈した。多くの廷臣や諸将を処分して怖れられ、父親の足利義満を上回る権力者になった。

これだけを見れば、足利幕府中興の祖となるという見方もあったろう。だが、決定的に欠けていたのは酷薄な人間性にある。赤松満祐が京都の自邸に招いた宴席で赤松方によって斬殺されたのは、起こるべくして起こった事件といえる。歴史のスクリーンにかければ、足利義教はつまらない男として名すら残していない。

小沢一郎氏を足利義教になぞえるつもりはない。これから何を為すべきかによって小沢評価が決まる。だから「万人恐怖」「悪御所」の真似だけはして欲しくない。政治家の評価は棺を覆って、初めて定まると思うからである。

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